浅倉大介の先行販売プレリザーブ・一般発売チケット、CD、DVD情報 |
@電子チケットぴあ Amazon.co.jp 浅倉大介の先行販売プレリザーブ・一般発売チケット詳細・購入はこちらから♪ 浅倉 大介(あさくら だいすけ、男性、1967年11月4日 - )は、日本の音楽プロデューサー・作曲家・編曲家・キーボーディスト。貴水博之とのユニット、accessのキーボーディスト兼、プロデューサー。東京都出身。東京都立蔵前工業高等学校卒業。血液型はA型。 ニックネームは大ちゃん。 エレクトリック・ミュージックシーンで活躍しているミュージシャンの一人。 来歴 浅草で水道工事店を営む一家の長男として生まれる。小学生の時にエレクトーンを習い始めたのが音楽との最初の出会い。高校時代にはYMOの影響を受け、楽器屋でアルバイトをしながら、ミュージックコンピュータCXシリーズ(MSX)やシンセサイザーを購入して使い始める。当初はお金がなく、回路図やパンフレットなどから独学でスキルを磨いた。また音楽やシンセの使い方だけでなく、コンピュータやプログラミングそのものへの知識も身に付けていたため、シンセサイザーの新製品のバグなども報告しており、そうしている内にヤマハから声が掛かり、シンセサイザーの開発に携わるようになる。 高校卒業後は契約社員として勤務。シンセサイザー(DX7IIFD等)やシーケンサーQX3の開発(デバッグや音色作成、マニュアル執筆等)、及びそれらのインストラクターを守尾崇らと務める傍ら、ゲーム音楽の作・編曲等も手掛ける。当時の代表作はDAIVA(ディーヴァ)。1987年、TM NETWORKのツアー「Tour '87?'88 Kiss Japan」よりマニピュレーションを担当し、1990年の「RHYTHM RED TMN TOUR」でサポート・キーボーディスト(シンセベース)としてステージデビューを果たす。小室からの信頼は厚く、小室が手がけた「天と地と」やミュージカル「マドモアゼル・モーツァルト」のサウンドトラックのレコーディングにも参加している。 その後もTM NETWORKのツアーサポート等を務める傍ら、小室からの「アルバムを出してみたら」というアドバイスを受け、1991年にファースト・アルバム『LANDING TIMEMACHINE』でソロデビュー。翌1992年、2枚目のソロアルバム『D-Trick』発表の後、貴水博之とのユニットである access を結成。「NAKED DESIRE」「MOONSHINE DANCE」などの数々のヒットナンバーを送り出し、2年間で11枚のシングル、3枚のアルバムを発表した。 access 活動休止後の1995年からはソロ活動を再開させる一方で、音楽プロデューサーとしての活動を本格的に始め、雛形あきこ、オナペッツ、LAZY KNACKなどを手がける。1996年には自身が参加する3人組の新ユニット Iceman を始動させ、その後もT.M.Revolution のヒットなどで成功を収める。 1998年4月、所属事務所を自身が中心となるDarwinに移籍。Iceman、T.M.Revolution、デビュー以前のコタニキンヤなどが在籍していた。実質浅倉大介中心のプロダクション機能を果たし、Fayray、pool bit boys、木村由姫、藤井隆、サカノウエヨースケ、D.A.N.K、The Seekerなど多くのプロデュースワークをこなす様になる。 1999年、T.M.R.の東京ドームライブにサポーターとして参加後、T.M.Rを封印した西川とのユニットthe end of genesis T.M.R.evolution turbo type Dとして2000年まで共に活動を展開していく。T.M.Rが西川のセルフプロデュースになってからも、作曲については2008年現在引き続き担当している。 2001年から2002年にかけては、95年以来となる6年ぶりのソロ活動を再開。四季をテーマにしたツアー先行型の音楽活動を展開。 2002年には access を再開。現在、ソロと並行して活動中。 2004年から2005年冬にかけての1年は、「虹」をテーマに掲げた7枚のコンセプト・アルバム「Quantum Mechanics Rainbow」シリーズを定期リリース。 近年では活発なプロデュース活動こそ見られなくなったが、外部への曲提供、新堂本兄弟のレギュラー出演や、ソロ・accessのライブ、独自のスタイルでのクラブイベントなど意欲的な活動を続けている。また、プロデュースやユニット、一アーティストとしてのソロ活動と比べるとまだ数は少ないが、舞台、アニメ、ゲーム、映画の音楽製作・監修も務める。 2008年6月25日より、1000日をかけて100曲をiTunes Storeで配信するソロプロジェクト「DA METAVERSE」を開始。 人物・その他 先項で既述したように、かつてヤマハに在籍していた事もあってか、同社のシンセサイザーであるQS300とEOS BXのイメージキャラクターを担当するなど、関わりが深い。 キーボード演奏面では、ショルダーキーボード(KX5)の使用やパフォーマンスなど小室哲哉の影響を強く受けており、小室から学んで一番衝撃を受けたのもただ音を鳴らすだけではなく「音を見せる」パフォーマンスやビジュアルへの拘りだったと著書で述べている。 浅倉は、音楽機器に限らず最新鋭のデジタル技術にも造詣が深く、時代に先駆けて音楽の発表に活かす事が多い。1995年の3rdアルバム「ELECTROMANCER」では世界初の試みとしてCD-ROMを付属し、2002年発表の「21st Fortune」では、5.1チャンネルでの鑑賞を前提とした音楽作りを導入。Icemanでも世間に浸透する前の1998年の時点で既にDVD作品を発表している。その他、accessでは日本のJ-POPシーンでは初めての4曲入りリミックスマキシシングルを発売し、近年発表された「Quantum Mechanics Rainbow」シリーズでは実に1年という短期間で7枚のアルバムを発売するなど、常に実験的かつ真摯な姿勢が伺える、アグレッシヴなミュージシャンである。 浅倉大介は作曲する際に、低価格オーディオから高級オーディオまでどんな音響機器でもいい音で再生できるように心がけて制作しているという。そのため、かつて音楽データの違法コピー問題において、所属しているレコード会社(ソニー・ミュージックエンタテインメント)がコピーコントロールCD(以下、CCCD)を導入する際に、「音質が悪い」ことを理由に断固として導入に反対した希有なアーティストとしても名高い。裏を返せば、他のミュージシャンがCCCDの技術面・音質の問題についてほとんど無頓着・無関心であった中で、上述の様な技術面への造詣の深さゆえに、音質の悪さやコピーコントロールのシステムが、後々にメーカーとユーザーの間で大きな問題に発展することを導入前から見抜いていた数少ない存在である。 ちなみに、当時のソニー所属のミュージシャンでCCCDの音質を問題視したのは、浅倉、奥田民生とその他に1人いただけであった(ファンクラブ会報より)。また、accessのアルバム「Rippin' GHOST」からシングルカットされた「REAL AT NIGHT〜眠れぬ夜の向こうに〜」は、レコード会社の方針でCCCDでの発売となったものの、アルバムと同じアレンジ、ミックスで収録(しかも1曲のみ収録)されており、当時においてCCCDとそうでないものを聴き比べることが出来る貴重な資料となった。更にCCCDでの発売を避けるため、accessでは当初リミックス・シングルとして発売予定だった「Re-sync GHOST」を曲数を増やして当時まだCCCD対象外だったアルバムとしたり、ソロワークにおいてはクラブリミックスアルバム「Sequence VIRUS」シリーズと「Quantum Mechanics Rainbow」シリーズは所属事務所のレーベル「Darwin Record」からの発売となったことはファンの間では語り草となっている。 プライベートでは自他共に認める大のディズニーフリークであり、尊敬する人物の1人にウォルト・ディズニーを挙げるほどである。その為か、ディズニー関係のコンピレーションアルバムに参加したり、特集番組に出演した事もある。90年代後半から犬を飼い始めたが、犬好きが高じて愛犬にまつわるグッズを作製したり、ファンクラブ会報やレギュラーラジオのトークの中など、随所に愛犬の写真や話題が登場したりするなど、ファンの間では大の愛犬家としても認識されている。ちなみに、ソロの"Puppet Master"の曲中の犬の鳴き声は、愛犬アレックスのもの(ラジオにて本人談)。和牛が好物。 ソロ活動 インストゥルメンタルの楽曲とボーカル曲を織り交ぜて音源を発表する事が多く、どちらかというと前者の方が多いのも特徴。また、ボーカル曲は自身でボーカルを執る曲も多いが、ゲストボーカルとして主に新人のミュージシャンに歌わせる事もあり、access やT.M.Revolution誕生のきっかけもここから始まっている。 ディスコグラフィー ここでは浅倉のソロ活動における作品を紹介する。 シングル
●印はDarwin Recordからの販売であり、一般流通していない(新星堂各店など、特定の店舗のみの販売)。
すべてDarwin Recordからの販売であり、一般流通していない。
以下は、iTunesで配信。
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